漢方は古代中国の経験医学が日本に導入され、日本の風土や日本人の体質に合わせて独自の発展を遂げたものです。古代中国医学の伝来から、その模倣と独自の発展、そして近代の衰退と再評価までの歴史をたどります。
中国医学の伝来
平安以前の日本は大陸の医学を積極的に導入し模倣した時代でした。仏教など他の大陸文化と同様に6世紀までには朝鮮半島を経由して日本に中学医学が伝来したと考えられています。7世紀には遣隋使、遣唐使が派遣され、中国から直接導入されるようになりました。東大寺の正倉院には、当時中国から運ばれた生薬が今でも納められています。
中国医学の模倣
984年、丹波康頼によって現存する最古の医学書「医心方」が編纂されました。この書では、中国医学の様々な医書を引用していますが、日本の風土を考慮して選択されています。件投資廃止(894年)後は、中国の最新医療技術を持ち帰ってきたのは僧侶でした。また、医療の対象が一般民衆に拡大していく中で、それを担ったものでした。
漢方の誕生
江戸時代中期には、現在の漢方の始まりとなる古方派が出現しました。田代三喜がもたらした金や元の医術が五行説などの観念的な理論を重視したのに対し、空論を排し、「古の医学を行うことを理論とし召喚論に基づいて診療を行う」ことを重視しました。この頃に優れた医師や医学者が続出し、臨床技術が発達して漢方の最盛期を迎えます。これは杉田玄白ら蘭学医にも影響を与え、華岡青洲による世界初の麻酔手術にもつながっていきます。なお、この時代にオランダから入ってきた西洋医学を「蘭方」というようになり、中国伝来のそれまでの古くからの伝統医学は「漢方」と呼ばれるようになりました。
⚫︎傷寒論(しょうかんろん)
後漢末期〜三国時代に張仲景が編纂した伝統医学書で、その後の中国および日本の医療法の古典として長い間、尊重されていました。特に17世紀に日本で起こった「傷寒論」への回帰運動は、漢方の誕生・発展に大きな影響を与えました。
衰退と再評価
明治時代になると、政府は西洋医学中心の新しい教育制度を整えると共に1874年には医制を制定し、西洋医学に基づく試験制度と医業の開業許可を制度化しました。つまり、西洋医学を学び国家試験に合格しなければ医業開業の許可が与えられないことになりました。これにより漢方は衰退しましたが、その後も、一部の医師や薬剤師などの尽力により、国民の中で存続しました。
1910年に和田啓十郎が「医界之鉄椎」を出版し、漢方医学の復権を訴えました。これら著述がきっかけとなり、昭和に入って漢方医学は再び注目を集めるようになりました。1950年には日本東洋医学会が設立され1960年代に入ると、相次ぐ薬害の発生などにより西洋医薬一辺倒を懸念する声が高まりました。1976年に漢方エキス製剤33処方が健康保険適用になり、広く利用されるようになりました。そして、2001年、医学・薬学教育の基礎がカリキュラムに漢方の講義が導入されることになり、現在では医師になるすべての人が漢方薬(和漢薬)を学ぶことになりました。
漢方の歴史を作った主な人物
⚫︎丹波康頼(たんばやすより)912〜995年
平安時代の医師。先祖は中国後漢の霊帝の子孫で日本に帰化した阿智王とされています。984年に「医心方」全30巻を編纂し、朝廷に献上しました。これは唐代の医書を参考に当時の医学全般の知識を網羅したもので、現存する日本最古の医学書です。こうした功績により丹波宿禰(すくね)の姓を賜り宮廷医丹波家の祖となりました。
⚫︎梶原性全(かじわらしょうぜん)1266〜1337年
鎌倉時代の僧医であり、号は浄観です。1303年「頓医抄」50巻、1315年「萬安方」62巻を著しました。これらは中国の最新医書を取り入れ再整理した鎌倉時代の代表的医学全書です。」
⚫︎曲真瀬道三(まなせどうさん)1507〜1594年
戦国時代の医師。1516年五山文学の中心である相国寺に入って詩文や書を学びました。1528年に関東足利学校に入った際に田代三喜に会って医学に転じ、李朱医学を学びます。1545年に京都に帰り、啓迪院を創建して門人を育成しました。時の、権力者、足利義輝・毛利元就・織田信長・豊臣秀吉や天皇家の信任を得て医療を担当しました。
⚫︎後藤民山(ごとうこんざん)1659〜1733年
江戸時代の医師。1685年に京都で開業し、一気留説を提唱しました。彼の治療方法は灸や入浴など身近なものを実践し、民間療法も取り入れています。香川修庵、山脇東洋ら多くの門人を育てました。
⚫︎山脇東洋(やまわきとうよう)1705〜1762年
江戸時代の医学者。1754年京都六角獄舎で処刑された屍体を解剖し、その成果を解剖図録「蔵志」として刊行しました。国内初の人体解剖は東洋医学の五臓六腑説の誤りを指摘し、西洋医学書の正確性を証明したことから当時の医学界に大きな影響を与えました。この影響を受け、江戸では、杉田玄白、前野良沢がより正確性の高いオランダ医学書の翻訳に着手することになりました。
⚫︎華岡青洲(はなおかせいしゅう)1760〜1835年
江戸時代の医師。古医方とオランダ外科医療を学び、漢蘭折衷の外科術を研究しました。1804年に自己の開発した麻酔剤を用いて世界で初めて全身麻酔による乳がん摘出手術に成功しました。青洲の門人は仙人を越えたと言われますが、青洲自身は著述を行わず、その医術は筆記により写本として広く流布しました。

